タカノフーズのあゆみ
1989〜 1994年 全国に広がる生産販売拠点の確立
昭和64(1989)年1月、昭和天皇が崩御し、元号は「平成」と改められました。同年11月、ベルリンの壁が東欧民主化の波を受けて撤去。米ソ首脳によって「東西冷戦の終結」が宣言されました。その2年後にはソビエト連邦も解体し、第二次世界大戦後の東西両陣営による冷戦体制は消滅しました。
国内でも、平成5(1993)年、自民党が過半数を割って自民党政権が崩壊。自社両党による「五五年体制」は終わりを告げ、内外ともに新たな秩序確立への模索が始まりました。
タカノフーズにとって、平成の幕開けは大きな飛躍への出発点となりました。平成4年9月までの4年足らずの間に、札幌・仙台・大宮・千葉・多摩・横浜・名古屋・福岡と、全国八都市に相次いで営業所を開設、本格的な全国展開が進められました。日本列島の北から南まで、ネットワークが急ピッチで広がり、営業・販売・サービス体制が格段に強化されました。
この間、平成元年5月、2年11月、4年4月の3度にわたって増資が行われ、資本金は4億1,096万円と充実し、営業網の拡充に呼応した現地生産化の第一歩が踏み出されました。
平成元年10月、西日本における一大生産拠点として、伊勢工場(三重県松阪市)が稼働を開始。過去最大の約40億円を投じ、原料の搬入から商品の出荷までを全自動化したFA工場です。生産能力は水戸工場に次ぐ日産200俵。伊勢自動車道に隣接し、西日本へ新鮮でおいしい納豆をスピーディーに供給できるようになりました。また、平成2年11月には北海道に協力工場が完成します。
平成4年2月には、創業60周年を迎え、同年6月に盛大な式典が行われました。
平成5年12月、農芸化学の振興を目的とし、会長・髙野なをの寄付金を原資に、財団法人タカノ農芸化学研究助成財団を設立。
毎年、全国の農芸化学の研究者の中から、優秀な研究に対し助成を行うとともに、その研究成果を広く学術分野に公開することにより、農芸化学の研究・発展に寄与しています。その後、平成10年2月27日付けで文部省(当時)より特定公益法人の認可を受けることとなりました。
また、平成6年7月には水戸本社に技術開発センター(現設備開発)が開設されました。納豆製造設備の自社開発を図ろうというもので、機械メーカーと競争できる付加価値の高い技術研究と人材育成を目指したものです。
現在、年間7億5,000万食(1食当たり100グラム)以上を生産しており、大幅な効率化を図ることができました。また、内部のどこのポイントをとっても温度が均一になるような発酵を行い、より安定した品質の商品供給により、差別化が可能となっています。
平成6年9月22日、霞ケ浦工場において火災が発生。創業以来の大事故であり、復旧までに約3カ月を要することとなりました。